答えのない問い

 答えのない問いを伝家の宝刀のごとく振りかざす人がいる。
【常識】と見なされているものに疑問を持ち、問いを発するのは、
 精神活動にとっても有意義なものであるし、尊重すべき行為であるとは思う。

 しかし、それは、あくまで『精神の営み』としてのかかる行為を評してのことである。

 かの問いに対し十全なる答えが存在しない、という事情を自己に有利に援用し、
 もって自らの条理に反する行動を正当化しようとするがごとき態度は、到底首肯しがたい。
「自ら考える」ためにかかる問いを発するのではなく、
「自らを正当化する」ためにその問いを利用しているだけなのだ。
 かような行為は、人間の精神活動を冒涜するものであるし、
 そのような行為を何ら恥じることなく行う人間には、拭い去れぬ卑しさを感じさせられる。